更新:[対談]「風の忘れもの」は全16回で完結となりました。
長きにわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。
風の忘れもの
風は自由の象徴。
風は思いのまま吹く。
風が吹きぬけたあとになにか残るものがある。
風の名残、風の余波
風が皆さんの心にさざ波を立てられれば。
「大人が真剣に語る」
一言では言えない。
しかし、一言でしか言えないこともある。
誰だって悩む。
1人で悩む。でも1人ではない。
言葉に出せば、わかる誰かがいるはず。
「生きるとは?」「人生とは?」「希望とは?」
参加者と一緒に考えていく対談動画。
対談動画
※個人名や著作権の都合上、動画の一部カット等の処理を行っています。
第1回:人と違うことを恐れるな
あらすじ:自分の気持ちを伝える方法は多弁であることだ、とは言えない。言葉にならない思いを伝えるには?コミュニケーションとは?
7月15日水曜日 14:00~15:00
対談動画はこちらから
・人と違くことを恐れるな 1
・人と違うことを恐れるな 2
・人と違うことを恐れるな 3
・人と違うことを恐れるな 4
・人と違うことを恐れるな 5
第2回:知り合ったんだからしょうがない
あらすじ:時代が激しく移り行く中で、自分が取り残されている気がする。自分のことで精いっぱいだけど、これでいいのだろうか?
7月29日水曜日 14:00~15:00
対談動画はこちらから
・知り合っちゃったんだからしょうがない 1
・知り合っちゃったんだからしょうがない 2
・知り合っちゃったんだからしょうがない 3
・知り合っちゃったんだからしょうがない 4
・知り合っちゃったんだからしょうがない 5
第3回:たとえ弱く無力であっても
あらすじ:「結果は問題じゃない、どれだけ頑張ったかだ」与えられた課題に対して頑張る、頑張ることに意味がある。それが例え、無意味なことでも?
8月12日水曜日 14:00~15:00
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・たとえ弱く無力であっても、ただ居ることに価値がある 1
・たとえ弱く無力であっても、ただ居ることに価値がある 2
・たとえ弱く無力であっても、ただ居ることに価値がある 3
・たとえ弱く無力であっても、ただ居ることに価値がある 4
・たとえ弱く無力であっても、ただ居ることに価値がある 5
全国青い芝の会(ぜんこくあおいしばのかい)とは、脳性麻痺者による障害者差別解消・障害者解放闘争を目的として組織された日本の障害者(身体障害者)団体。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水 哲郎(しみず てつろう、1947年 – )は、日本の哲学研究者、岩手保健医療大学学長。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第4回:右の頬を打たれたら
あらすじ:「こうはなりたくない」いじめに参加したくない、弱いものを攻撃したくない、では自分はどうありたいのか?
8月26日水曜日 14:00~15:00
対談動画はこちらから
・右の頬を打たれたら 1
・右の頬を打たれたら 2
・右の頬を打たれたら 3
・右の頬を打たれたら 4
・右の頬を打たれたら 5
ソクラテスとは:
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソクラテス(ソークラテース、希: Σωκράτης、英: Socrates、紀元前469年頃 – 紀元前399年)は、古代ギリシアの哲学者である。釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる[1]。ソクラテス自身は著述を行っていないので、その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポンなどの著作を通じ知られている。
弁証法とは:
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラトンの初期対話篇で描かれる、比較的実像に忠実とされるソクラテスから導かれる解釈では、彼が実践した、ある一つの考え方が内在的に伴うことになる矛盾を明らかにするために、その主張に疑問を投げかけながら議論・問答することで、より妥当な真理に近づこうとする方法を意味する。問答法と表現される。
親鸞とは:
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
親鸞(しんらん、承安3年4月1日 – 弘長2年11月28日 [注釈 5])は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。浄土真宗の宗祖とされる
ロゴスとは:
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はじめに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった— 『ヨハネによる福音書』
第5回:なんで勉強しなきゃいけないの?
あらすじ:子どもから問いかけられる無垢な問い。その言葉になにが含まれているのか?大人は何を伝えたらいいのか?
9月10日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
・なんで勉強しなきゃいけないの 1
・なんで勉強しなきゃいけないの 2
・なんで勉強しなきゃいけないの 3
・なんで勉強しなきゃいけないの 4
・なんで勉強しなきゃいけないの 5
ユニセフの精神幸福度とは:
出典:公益財団法人日本ユニセフ協会:https://www.unicef.or.jp/news/2020/0196.html より抜粋
ユニセフ・イノチェンティ研究所が、2000年以降ほぼ毎年1冊の割合で発行している、先進国の子どもに関する『レポートカード』シリーズ(レポートカードは通信簿の意)の最新刊。レポートカード11(2013年)やレポートカード7(2007年)で行った子どもの幸福度の分析・ランキングの手法に基づき、さらに、子どもたち自身の行動や人間関係、保護者がもつネットワークやリソース、各国の政策や条件も含めて、包括的に子どもたちの幸福度を分析しています。
死生学とは:
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
死生観を哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術などの研究を通して、人間知性に関するあらゆる側面から解き明かし、「死への準備教育」を目的とする極めて学際的な学問である。
八郎とは:
出典:絵本ナビ様https://www.ehonnavi.net/ehon/1617/八郎/
大男の八郎はなぜ自分の体が小山ほどあるのか知らない。ところがある日、大波に田畑を流されて泣く百姓を見て、初めて自分が働く者のためにあることを知り、荒れ狂う海にむかいます。
第6回:あなたはどう生きたいの?
あらすじ:子どもからの「問い」。大人は必ずしも「正解」を知っているわけではない。では答えはどこにあるのか?
9月24日木曜日 11:00~12:00
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・あなたはどう生きたいの? 1
・あなたはどう生きたいの? 2
・あなたはどう生きたいの? 3
expressionとは:
出典:weblio英和辞典・和英辞典
表現(すること)、表われ、しるし、(言葉の)言い回し、語法、語句、辞句、(顔・目などの)表情、顔つき、表情豊かなこと
カントの純粋理性批判とは:
出典:100分で名著 https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/98_kant/
理性の能力を精密に分析。「人間が知りうるものの範囲をどう確定するか」や「人間が知りえないものについてどんな態度をもつべきか」といった根本的な問題を明らかにすることで、難問に回答を与えようとしたのが「純粋理性批判」なのです。
特殊相対性理論とは:
出典:ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96
特殊相対性理論は次の二つの原理に支えられている。
・光の速さは光源の運動によらない(光速度不変の原理)
・物理法則は慣性系によらない(特殊相対性原理)言い換えると、止まっている人から見ても一定の速度で運動している人から見ても物理法則は同じなので、絶対的な静止系を選び出すことはできないということ。
黒井千次とは:
出典:wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%95%E5%8D%83%E6%AC%A1
日本の小説家。本名、長部舜二郎(おさべ しゅんじろう)。サラリーマン生活の傍ら執筆生活を始め、「内向の世代」を代表する作家の一人と目された。大企業の組織を見つめ、労働者の人間疎外を主題とした作品を多数執筆したが、『春の道標』など自伝的な青春小説でも好評を得た。日本文芸家協会理事長。日本芸術院長。文化功労者。
松下竜一とは:
出典:wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E7%AB%9C%E4%B8%80
1937年(昭和12年)2月15日 – 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
ライフプランシートとは:
参考:・日本FP協会 ライフプラン診断 ・全国銀行協会 ライフプランシミュレーション
第7回:私たちはどう生きていくの?
あらすじ:「なぜ勉強しなきゃいけないの?」と子どもが声を発するときは、勉強はイヤなのだろう。「あなたはどう生きたいの?」という問いは大人も子どもも自分自身を見つめる。誰もが「幸せ」を願うが「幸せとはいったい何なのだろう」か。私たちはどういきていくのか。
10月8日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
・私たちはどう生きていくの? 1
・私たちはどう生きていくの? 2
・私たちはどう生きていくの? 3
「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに相同じい」魯迅とは:
出典:wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%AF%E8%BF%85
中国で最も早く西洋の技法を用いて小説を書いた作家である。その作品は、中国だけでなく、東アジアでも広く愛読されている。日本でも中学校用のすべての国語教科書に彼の作品が収録されている。
第8回:信じることを選ぶということ
あらすじ:軽々しく「きっと幸せになれる」「希望がある」とは言えない。人と関われば傷つく、しかし、その傷を癒すのも人。傷を恐れていては「希望」は見えないのかもしれない。では「希望」とは一体なんなのか?
10月22日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
・信じることを選ぶということ 1
・信じることを選ぶということ 2
まっくらやみのまっくろ 作・絵ミロコマチコ:
出典:小学館 https://www.shogakukan.co.jp/books/09726739
〈 書籍の内容 〉
いったい自分は、何者なのか。まっくらやみのまっくろは、自分が何者かわからない。でも体の奥から力がみなぎってくる。「ぎゅわーん」。いきなり角が生えてきた!「そうか、ぼくはサイなのか。すごく誇らしい気分だ。」しかしまだまだ変化は止まらない。まっくらやみのまっくろは、いったい何者なのか?生き物をダイナミックに描き、国内外で数多の受賞を誇る話題の作家、ミロコマチコが紡ぐ、生命のものがたり。
旧約聖書 創世記:
出典:wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC50%E7%AB%A0
創世記 第1章(口語訳)
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6・・・
第9回:情けない聞き手になる
あらすじ:内村さんはどうして風の舎を開催したの?そもそも風の舎ってなにをするところ?風の舎の理念「異なるものが異なるままで共に支え合って生きる」とはいったい?目の前に困っている人がいる、問題を抱えている人がいる、その時に何ができるのだろうか?
11月12日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
・情けない聞き手になる 1
・情けない聞き手になる 2
・情けない聞き手になる 3
・情けない聞き手になる 4
べてるの家とは:
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
べてるの家(英語: Bethel’s house)とは、1984年(昭和59年)に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点で、社会福祉法人浦河べてるの家(2002年法人化-就労継続支援B型、生活介護、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、グループホーム等を運営)、有限会社福祉ショップべてるなどの活動の総体である。そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有している。
ゆめおすとは:
出典:長崎県子ども・若者総合相談センター「ゆめおす」http://www.n-kodomo-wakamono.jp/
国において「子ども・若者育成支援推進法」が平成22年4月1日から施行されました。これを受け、長崎県では、不登校、ひきこもり、ニート等、社会生活を円滑に営む上で様々な問題やお悩みに対応するため、総合的に相談をお受けする「長崎県子ども・若者総合相談センター」(愛称:ゆめおす)を設置しました。
ゆめおすでは、おおむね30歳代までの方やそのご家族からのご相談を専門の相談員が無料で受け付けています。また相談の内容によって各公的支機関やNPO法人等の民間支援団体等と連携を図り、サポートを行っています。ご相談の秘密は守ります。
ピアカウンセリングとは:
出典:全国自立生活センター協議会 http://www.j-il.jp/about/pc.html
ピアカウンセリングは1970年代初め、アメリカで始まった自立生活運動の中でスタートしました。自立生活運動は、障害を持つ当事者自身が自己決定権や自己選択権を育てあい、支えあって、隔離されることなく、平等に社会参加していくことを目指しています。ピア・カウンセリングとは、自立生活運動における仲間(ピア)への基本姿勢のようなものです。
第10回:死生学
あらすじ:「死生学」って聞いたことない。いったいどんな学問?他に誰がどこでおしえているの?なんで内村さんは死生学を教えようとおもったのか?
11月26日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
ホスピスとは:
引用元:ホスピス財団 https://www.hospat.org/public_what.html
WHO(世界保健機構)は緩和ケアを次のように定義しています。(2002年)
「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティー・オブ・ライフを改善するためのアプローチである。」
スピリチュアルペインとは:
引用元:時事メディカル https://medical.jiji.com/column4/31
「終末期がん患者が、生命の危機の恐怖や病気の進行による身体機能の衰えに伴い無力感を抱くことによって、生きること・存在すること・苦悩することの意味、死への不安、尊厳の喪失、罪責意識、現実の自己への悲嘆、関係性の喪失、超越的存在への希求等について問い続けざるを得ない苦痛」
グリーフケアとは:
引用元:日本グリーフケア協会 https://www.grief-care.org/about.html
死別を経験しますと、しらずしらずに亡くなった人を思い慕う気持ちを中心に湧き起こる感情・情緒に心が占有されそうな自分に気づきます(喪失に関係するさまざま思い:「喪失」としてまとめます)。また一方では死別という現実に対応して、この窮地をなんとかしようと努力を試みています(現実に対応しようとする思い:「立ち直りの思い」としてまとめます)。この共存する二つの間で揺れ動き、なんとも不安定な状態となります。同時に身体上にも不愉快な反応・違和感を経験します。これらを「グリーフ」と言います。グリーフの時期には「自分とは何か」「死とは…」「死者とは…」など実存への問いかけをも行っています。このような状態にある人に、さりげなく寄り添い、援助することを「グリーフケア」と言います。
100万回生きたねことは:作・絵: 佐野 洋子
引用元:wikipedia
主人公の猫は、ある時は一国の王の猫となり、ある時は船乗りの猫となり、その他、サーカスの手品つかいの猫、どろぼうの猫、ひとりぼっちのお婆さんの猫、小さな女の子の猫…と100万回生まれかわっては、様々な飼い主のもとで死んでゆく。その時、100万人の飼い主は猫の死にひどく悲しんでいたが、当の猫はまったく悲しまなかった。主人公の猫は、飼い主のことが大嫌いだったのだ・・・
南方熊楠とは:
引用元:wikipedia
南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) – 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入したことが注目される。1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している。民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している[4]。柳田國男から「日本人の可能性の極限」と称される。
萃点(すいてん)とは:
引用元:wikipedia
「萃」は、あつまるの意。さまざまな物や事柄があつまる場所。南方熊楠の造語。
※下図「南方曼荼羅」
第11回:私だけが違うと思ってた
あらすじ:他人と違うことは怖いこと?自分だけが周りと違うと感じて、小さくなる。「他人と自分が違うことは面白いこと」を考えていく。
1月14日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
第12回:明日この世を去るとしても
あらすじ:「明日が見えない」未来はどうなるかわからない。不安と恐れ、ふと気持ちが萎える。明日が見えなくても現在を生きる。小さな芽を枯らさぬように悩みながら育てていく。
1月28日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげよう」とは:
引用元:https://www.amazon.co.jp/
著者、樋野 興夫。「たった2時間の命にも役割がある」「いい人生だったか、悪い人生だったかは、最後の5年間で決まる」「大切なものはゴミ箱にある」「病気になっても病人ではない」――どんなに辛い境遇でも、困った時でも「よい言葉」を持つことでいまよりずっと楽に生きられる。3千人以上のがん患者、家族に生きる希望を与えた「がん哲学外来」創始者の言葉の処方箋。
新谷とは:
引用元:wikipedia
新谷 仁美(にいや ひとみ、1988年2月26日 – )は、日本の女子陸上競技選手(長距離走・マラソン)である。「駅伝の怪物ランナー」のひとりと言われる。2020年東京オリンピック5000m、10000m参加標準記録突破者で、10000mとハーフマラソンの日本記録保持者。愛称は「にいやん」。
末續とは:
引用元:wikipedia
末續慎吾(すえつぐ しんご、1980年6月2日 – )は、日本の陸上選手。熊本県熊本市出身。北京オリンピック男子4×100mリレー銀メダリスト。東海大学で高野進の指導を受ける。高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会の200mで3位となった。日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。また、2006年のアジア大会の200mで2連覇するなどし、全盛期にはパトリック・ジョンソンとともに、「現役世界最速の非ネグロイド」とも言われた。
ホロコーストとは:
引用元:wikipedia
第二次世界大戦中の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)率いるナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺を指す。
対談動画:新シリーズ「死生学番外編」
内村公義先生が講義している「死生学」をベースに参加者が感じてきた疑問や驚き、感想などから対談を広げていく。
第13回:死生学番外編【驚き】
あらすじ:「哲学は驚きの念(パトス)から始まる」。「驚き」をさかのぼり紐解いていくと、自身のルーツが見えてくる。哲学という堅苦しい言葉とは裏腹に、日常にある驚きと感動から考えていく。
2月11日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
アリストテレスとは:
引用元:wikipedia
アリストテレスは(前384年 – 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。
デカルトとは:
引用元:wikipedia
1596年3月31日 – 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。
エンパイア・ステート・ビルディングとは:
引用元:wikipedia https://www.flickr.com/photos/132084522@N05/17339180506
アメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にある超高層ビル。「エンパイア・ステート(帝国州)」はニューヨーク州の異名である。
ディーゼル機関車とは:
引用元:wikipedia Project kei https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89866739による
ディーゼルエンジンは1897年にドイツで発明されている。またディーゼルエンジン以外の内燃機関は電気機関車よりも早く、19世紀半ばごろに開発されている。しかし、内燃機関は蒸気機関や電気モーターと異なり、回転数に関わらず発生トルクがほぼ一定である特性があるため、発進から加速に移行する速度域で大きな力を必要とする鉄道車両に内燃機関を用いる場合、トルクを増大させる装置を別に必要とする。これが枷となり、鉄道車両への導入には長い年月を要した。
第14回:死生学番外編【不安】
あらすじ:「不安はないほうがいい」「不安がないほうが幸せ」「不安があるから、心はより不安になる」。しかし「不安は自分の人生を輝かす生きる動機」にもなる。
2月25日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
ヘルマン・ヘッセとは:
引用元:wikipedia
(1877年7月2日 – 1962年8月9日)ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また、ヘッセは、風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。
トーマス・マンとは:
引用元:wikipedia
1875年6月6日 – 1955年8月12日)は、ドイツ出身の小説家。リューベックの富裕な商家に生まれる。当初は実科を学んだが処女小説『転落』が認められて文筆を志し、1901年に自身の一族の歴史をモデルとした長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞した。1933年にナチスが政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活しながら、聖書の一節を膨大な長編小説に仕立てた『ヨセフとその兄弟』、ゲーテに範を求めた『ワイマルのロッテ』『ファウストゥス博士』などを発表。終戦後もドイツに戻ることなく国外で過ごしたが、『ドイツとドイツ人』などの一連のエッセイや講演でドイツの文化に対する自問を続けた。兄ハインリヒ・マン、長男クラウス・マンも著名な作家である。
自らを灯とし 法を灯とせよ:
引用元:http://www.jyofukuji.com/10zengo/2011/01.htm
「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教えだといわれる。「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」ということである。「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」とは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのかと嘆く弟子のアーナンダに対して諭された言葉である。
メモ:いのち
いのちは[生命、生活、人生]。 不安もその3つに細分化。
第15回:死生学番外編【悲哀】
あらすじ:「自分とは何か」アイデンティティとは一体なんなのだろう?問わずにはいられないのは『人』の病なのかもしれない。
3月11日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
西田幾多郎とは:
引用元:wikipedia
(1870年5月19日(明治3年4月19日) – 1945年(昭和20年)6月7日)は、日本を代表する哲学者である。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。
「世を離れ人を忘れて我は唯深き己の奥底にすむ」
フランクルとは:
引用元:wikipedia
ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 – 1997年9月2日)は、オーストリアの精神科医、心理学者。著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、代表作は『夜と霧』である。
エリクソン、アイデンティティとは:
引用元:wikipedia
自己同一性(じこどういつせい、アイデンティティ、英: identity)とは、心理学(発達心理学)や社会学において、「自分は何者なのか」という概念をさす。アイデンティティもしくは同一性とだけ言われる事もある。当初は「自我同一性」(じがどういつせい、英: ego Identity)と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった[1]。エリク・エリクソンによる言葉で、青年期の発達課題である。
第16回:死生学番外編【孤独】
あらすじ:「一生を通じて、あなたと一緒にいる人間。それはあなた自身です」そう感じたときに人は孤立から孤独へ。さて「孤立と孤独の違いとは?」
3月25日木曜日 11:00~12:00
対談動画はこちらから
若山牧水(わかやま ぼくすい)とは:
引用元:wikipedia
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」
三木清(みき きよし)とは:
引用元:wikipedia
(1897年1月5日 – 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、法政大学法文学部教授。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され獄死したが、死後刊行された『人生論ノート』は終戦直後のベストセラーになった。
ハンナ・アーレントとは:
引用元:wikipedia
(1906年10月14日 – 1975年12月4日)は、ドイツ出身の哲学者、思想家である。ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した。のちに教鞭をふるい、主に政治哲学の分野で活躍し、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。
キルケゴールとは:
引用元:wikipedia
(1813年5月5日 – 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。
メモ:
政治とは「奴は敵だ」と名指すことである(著者:不明)
※見学されている方から質問やもっと聞きたいことを対談で掘り下げていく予定です。
ウエスレヤン・コミュニティカレッジのお知らせ
ウエスレヤン・コミュニティカレッジは市民とケアの専門職が自主的に共に学び合う場です。2020年度は、9月から「死生学研究」「死生学セミナー」を開催します。
【開講科目】
〇講師:長崎ウエスレヤン大学 名誉教授 内村 公義
[死生学研究]水曜日(9月9日~12月16日まで)
シリーズ1:死生学の動機
シリーズ2:死生学の方法
シリーズ3:萃点としての死生学
[死生学セミナー]金曜日(9月11日~12月18日まで)
シリーズ1:死生学の余白
シリーズ2:死生学拾遺
シリーズ3:死生学のこだま
【会場】
長崎ウエスレヤン大学
【受講方法】
1.1科目でも2科目でも自由に選択して受講できます。
2.1シリーズから3シリーズまで自由に選択して受講できます。
3.1コマだけでも受講できます。(その場合は、登録者1,000円 未登録者1,500円)
【登録料及び受講料】
・登録料 5,000円
(初めて受講する場合、1科目、1シリーズでも)
・受講料 1科目:12,000円 1シリーズ:5,000円
【講義内容】
[死生学研究]水曜日
昼間13:20~15:20 夜間19:00~21:00
シリーズ1:死生学の動機
09月09日「不安ーヘルマン・ヘッセ」
09月16日「驚きーアリストテレス」
09月23日「悲哀ー西田幾太郎」
09月30日「孤独ーハンナ・アーレント」
10月07日「虚無ーシモーヌ・ヴェイユ」
シリーズ2:死生学の方法
10月14日「臨床とことば」
10月21日「越境と総合」
10月28日「根源にさかのぼる」
11月04日「想像の翼をひろげる」
11月11日「死者の声を聴く」
シリーズ3:萃点としての死生学
11月18日「『萃点』という考え方」
11月25日「人文学の再編と死生学」
12月02日「芸術と学問の間」
12月09日「多田富雄・鶴見和子『邂逅』を読む(1)」
12月16日「多田富雄・鶴見和子『邂逅』を読む(2)」
[死生学セミナー]金曜日
昼間13:10~15:10 夜間19:00~21:00
シリーズ1:死生学の余白
09月11日「余白・欄外・辺境」
09月18日「長谷川等伯『松林図屏風』」
09月25日「アンゲルス・シレジウスと『否定神学』」
10月02日「マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』」
10月09日「『余白』に書かれた遺書」
シリーズ2:死生学拾遺
10月16日「田中小実昌『ポロポロ』」
10月23日「ラーゲルクヴィスト『バラバ』」
10月30日「長崎の詩人:山田かんと福田須磨子」
11月06日「死の哲学と誕生の哲学」
11月13日「臨床哲学者たち:木村敏と鷲田清一」
シリーズ3:死生学のこだま
11月20日「T.S.エリオット『白紙たちの旅』」
11月27日「大岡信詩集」
12月04日「國木田独歩『源叔父』」
12月11日「クロード・モルガン『人間のしるし』」
12月18日「旧約聖書『詩篇』抄読」
<問い合わせ先>
ウエスレヤン・コミュニティカレッジ
0957-47-8090(風の舎)まで
コメント
生きることがこんなにも難しいのか、と思うことがあります。
でも、死生学で講義されてても簡単に命を語らない二人の姿を見てホッとしました。論語の明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり、しかし死んでほしくはないです。
こんにちは。動画を見てから、ずっと言葉になりそうでならないモヤモヤとしたものがありまして矢も楯もたまらずコメントいたします。
命に「価値があるか」と問われてもわかりませんが、生きた時間にこそ価値があると受け取りました。対話の中にあったフランクルの言葉とは少し違うのかもしれませんが、自身の命に満足いくためには自分自身の足で何者かになろうとすることが大切なことなのではないかと思います。お二人の「次世代の命のために何かをしたい(というと少し大げさにしてしまっているかもしれませんが)」という姿がまさにそうで、父は父として、母は母として、経営者は経営者、ラーメン屋はラーメン屋の各々の足で選んだ何者かになりたい、全うしたいと願う姿こそが価値だと考えるようになりました。そしてそのためには自分のことを考える、自己覚知や自身との対話や哲学というのも非常に重要なことだと。人生に挑むというと敵対しているようになりますが、自身のなりたい姿を求めつづけるということこそが私なりの答えになりました。
大変長文になり失礼いたしました。暑い日が続きますがお体に気を付けてお過ごしください。
私も内村さんの話を20年ほど前に聞いて、それなりに成長したつもりでした。事前打ち合わせの時に立ち会わせて頂き、あらためて二人の会話を聞いて「まだまだ自分は利口者を気取った愚か者だな」と卑下することなくそう思いました。内村さんの豊かな経験と深い考えから出てくる言葉は、ひとつひとつが胸を打ち、強く自分を鼓舞してくれました。お二人の対談を楽しみにさせて頂きます。
日々の営みの中で人は悩み苦しんでいて、それに加え急激に流れていく時代の変化への適応に自暴自棄にもなれず、純粋に自分の人生を見つめたときに、ただ立ちすくむしかない。それでも、答えはわからなくても、共に悩むことは出来る、苦しみを共有できる、そこからなにか答えを求めて歩き出せると受け取りました。「せめて子供を」という言葉が強く残りました。何が出来るかわかりませんが、私なりに動こうと思います。ありがとうございました。
昨日(2020/7/15)は、久しぶりに涼しく、、
その「風の舎」は、昭和時代に戻ったような、寺小屋みたいに、縁側があり、玄関も、開けっぴろげで、懐かしい雰囲気で、穏やかな時間が流れていました。
いつ、参加しようが、いつ、帰ろうが、自由な感じ^_^
湯呑みの柄が、なんだか、昔を思い出す、、笑
テーマは「コトバ」が主に。。
参加者の方々は、長崎からいらした方、30年以上ぴいさんを師事している方、死生学を学ぶ方など、いろんな方と、交流もできました。私自身も、現在、息子の事で、いろんな情報や、縁を求めいるので、参加しました。
九住呂先生は、以前から、同級生なのに、やってる事や、考えてる事凄いなあと思ってましたが、昨日、ぴいさんとお会いして、その謎解きが、できたような気持ちでいます。
10代、20代に、感動した事は、一生に左右される事なのだと、改めて思いました。
九住呂先生へ価値観や影響力を与えた「ぴいさん」、、、80歳関西人素晴らしい爺さん、、カッコいいと思いました^_^
発する言葉に、メモ📝も間に合わなかったです😅
諫早で、こんな活動を何年もやってる方がいて、、そこで、立ち直ったり、人生の生き甲斐を見つけたり、人生をやり直したり、いろんな方々の想いが詰まった場所だなぁと思いました✨小学生の時に、道徳の時間ってありましたよね、、まさにそんな感じの学びと感動でした☺️
対談を視聴させていただきました。ありがとうございます!
お二人の言葉に頷き頷きしていました。
私もいろんな問題に対して、原因や理由探しに悩んでいた頃がありましたが、”正解や理由がない”…ことも、答えの1つでした
時代の流れに戸惑いを感じつつ、ホルストとの出会いで、時代にのせてもらってます!”温故知新” 大事にしたいです。
とても興味深い話でした。。言葉の大切さ、、
自分が言葉にできなかった事を久住呂さんが表現してくれて、、ウンウンってうなづく場面がたくさんでした。
質問したい事があります。
コロナ禍の中にいて、時代の変化に合わせて色々な事が変わっていく昨今、何かしなきゃと、、取り残されてる感があって焦ってしまいます。時代の変化についてってないんじゃないかと。
自分には何があるか、って振り返るとなーんも持ってないなぁ〜って思う時があります。
久住呂さんやぴぃさんみたいに、子供達全般じゃなく、自分の事で精一杯な自分も小さく見えてしまいます。
また、つい最近、弟分のような存在を亡くしました。
一緒に遊んでたのに、そこまで追い詰められてるとはわからなくて、、何もわかってやれてなかった自分に悔しくて、、
逃げてもいいと伝えてあげられてたのに、、って思うと自分が腹立たしいです。そのあたりのお二人の話を聞きたいです。
なんで勉強しなきゃいけないの対談動画を見てから、子供になんて言おうかずっと考えていました。
いたずら半分の笑顔まじりで聞いて来たのなら「四の五の言わず勉強しろ」というかもしれません、泣きながら聞いて来たのなら「しばらくは勉強のことは忘れよう」というかもしれません。それからも色々考えましたが、「なんで勉強しなきゃいけないの」と聞かれたら、子供と一緒にそのことを考えていきたいと思いました。
私自身がこれからもたくさん「なんで」を見つけてくる子供に「どういう答えを見つけるのだろう?」という思いもあります。悩んでいる時に相談相手になれる親でありたいとおもいます。
うちの娘は学校の勉強が大嫌いです。
でも自分の興味のある事は自分でどんどん学んでいきます。
親より賢い!と思うことが多いです。
みんなが同じペースで同じことを学ぶんじゃなくて、学び方がバラエティに富んでいて、子どもが自分にあったやり方を自由に選択できる社会になったらいいのにな、と思います。
N.N.さん、ほんとにそうですね!!
みんな個性も、得意なことも違う人間なのだから、横並びに同じことを同じペースで学ぶことを変えていかなければと思います!!
N.N.さんの娘さんも、自分のペースで好きなことを学べるといいなと願ってます。
「あなたはどう生きたいの?」の最後の女性からの感想で
『大人から「なにになりたいの?」
と問われることはあってもどう生きたいの?とは問われない。
大人の「なにになりたいの」は職業を指している。』
これはすごい言葉だと思いました。生きることは確かにお金を稼ぎ生活をすることかもしれませんが「生きる=仕事」ではないです。「生きる」とはもっと深い壮大な物語だと思いました。
やなせたかしが94歳で亡くなる直前の映像で「せっかく面白くなってきたのになんで死ななきゃならないんだよ」という言葉が胸に突き刺さりました。対談を何度も何度も繰り返し見ていて、一つ一つの言葉が胸を打ちます。人は必ず死ぬ虚しさ、大人も子供も年齢関係なく悩み苦しみ、絶望としか言えない中に照らし出される希望。絶望を胸の内に抱えながら尚、希望を持つ美しさ。先生の語られる言葉のひとつひとつをかみしめて初めて「人とはこうも美しいのか!」と心の底から思いました。いくつもの命がきっと救われてきたのだろうと思い、その救われた命の数だけ、その言葉には重さが加わって、私の胸を強く打ちます。まるで映画や演劇を見ているかのような、あらかじめ話すことをまとめられているような言葉の数々が、対談の最中に生み出されているということが驚きです。この対談は私にとって大切な宝になりました。今後も楽しみにしています。
死生学講義を7~8年程前に受講したものです。
偶然にこのページを知る事となりとても感激しながら見させて頂きました。
仕事や距離的な事があり、ご無沙汰しておりますが、内村先生のお元気そうな姿を拝見して、とても嬉しく懐かしく感じました。受講した時とは違い、久住呂さんとの会話形式も、また違った味があり、とても学びに繋がった感じがあります。
そのその時その時で、内村先生の言葉から感じる事が毎回変化します。
ずっと考える機会を得たと思います。死生学講座を是非ネット配信して欲しいです。 久住呂さんとは面識はありませんが、このような取り組みをして頂き、ありがとうございました。